「液晶のシャープ」呼ばれた大手電機メーカー、シャープの創業者・早川徳次の名言
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どうも、吉竹幹太です。

今回はビジネスを成功した
早川徳次の名言を書いていきたいと思っています。

マインドセットに約立つ
早川徳次の名言25選

・よいアイデアが生まれるのは、
儲からなくてなんとかしようと苦しんでいるときである。

・昔、坂田さん(丁稚奉公先の工場)にいたとき、
縁日の夜店でものを売って以来、
シャープペンシルの外交など過去の販売経験は、
私にとって力強い自信となっていた。

・もともと私は楽天家の方で、
ものごとにあまりいつまでも拘泥してくよくよする性質ではない。
忘れっぽいし、いつも明るく笑っていたい人間だ。

・私は性急な人間で、よく着物を裏返しに着て、
自分で気が付かないことがあるのだが、
寝間着のまま帯もしないで朝の工場で金具をいじって食事も忘れていた。

・シャープには創業者である早川徳次氏が提唱した
「他社に真似される商品を作れ」という伝統と遺伝子が息づいている。
駄目ならいっそのこと他社にないものをつくろうじゃないかという逆転の発想だ。

・「入るを量って出を制す」とは言い古された言葉だが、
まさに企業の基本として動かない戒めである。
もし規制された予算通り実行できる企業があれば、
その企業は必ず安定堅実である。

・私は当年とって69歳になるが、
日常会社勤めのほか全国を東奔西走の形で席の温まる暇もない状態である。
しかしこれが結局自分の性に合っているとみえて、
健康にも恵まれた快適な日々を送っている。

・かわいい社員のクビを切ってまで、自分は会社を存続させられない。
社長を辞し、会社は解散する。
社員を憂き目にあわせてまで、自分はもう、ものを言えない。
残った人間で会社を続けてよいが、自分はタッチしない。

・私は嘘をつかないこと、他人様に迷惑をかけないことを主義としている。
また世間と多くの人たちから有形無形の恩恵を受けて
生活していることに対する大きな感謝と同時にそのお返しを念願としている。

・我らの事業の完成は決して単なる個人の野心や自己満足だけでいいわけはない。
事業の公共性という点から私は事業達成の目標は、より良く、
より高い社会への奉仕と感謝の実行であると信じたいのである。

・私の会社が戦後他社に先駆け、国産テレビの本格的試作に成功したことも、
またテレビ本放送が開始されると同時に量産体制に入れたことも、
決してそれと調子を合わせて一朝一夕にポンとできたものではない。
いずれもそれまでの長年の研究がものをいったのであった。

・現在会社は5つの蓄積を社是として実践している。
「信用」「資本」「奉仕」「人材」「取引先」以上5つの蓄積である。
私たちは5つの貯蓄の精神を基盤にしてその実践を身近い現実のものに見て、
今日から明日へと自分たちの周りをさらに充実していきたいものである。

・ビール箱に腰を下ろして客待ちをしている間、
私は学校に通っていなかったため漢字が読めないので
字を覚えるためによく書物を開いて見ていた。
一晩一字ずつ覚えることに決めて鉛筆で書いてもみた。
いつしか、これが評判になって本を読む夜店小僧と言われるようになった。

・私の苦労は宿命のようだった。時代も違っていた。
私は自分が過去にやってきたことをいまの人たちに
強制しようという気持ちはさらさらない。
ただ苦労に明け暮れたころがいまとなってみると限りなく
楽しい思い出となっているのである。

・早暁4時を期して起床した。すぐ作業だった。
1日の経費を朝食までに稼ぐという計画を立てて、
休みの時間というと食事の間だけ、夜業をやって10時にしまう。
なおそれで済むのではなく、
雑用と外交はそれからの仕事になっているという寸法である。
私の創業時代のこれが風景だった。

・機を待っていた私であった。準備は万事OK、
すかさず本格的な鉱石ラジオセット製作に着手、やがて市販に移した。
機敏も商売のコツである。
おそろしく売れ、つくってもつくっても需要に追い付かなかった。

・当時、外国ではすでにラジオは実用の段階に入っており、
報道・娯楽の機関として不可欠の地位を占めていた。
わが国でも愛宕山に放送局(NHK)が開設される運びで、
一部の電気器具店や輸入商ではラジオ機械の研究に手を付け始めていた。
アメリカ製のラジオは貴重なものだった。
事業は常に新しいアイデアで他より一歩先にと
新分野を開拓していかなければ、とうてい成功は望めない。
私はたまたま買い入れたこの鉱石ラジオセットに異様なまでに関心を寄せた。

・私たちの夢に関連のある超短波研究が偶然のようにやってきた。
しかし、よく考えてみると決してこれは偶然ではなく、
偶然をつくりあげるような下地のある我々のところに
偶然やってくるべくしてきたともいえる。
この長い月日の技術の蓄積が、やがて他社を抜いて
いち早く国産テレビの完成となり、
そのその量産に向かってスタートできたのである。

・事業が順調に進んでいったとすると、
おそらく私はシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し、
いまのように電気器具メーカーとして大阪に住むこともなかったと思われる。
運命というものは全く予想を許さない。

・会社再建に没入している最中に朝鮮動乱が起きた。
にわかに産業経済界が活発となり輸出の急増、
内需の活況が目立ってきた。
社の滞貨も一掃され、この下半期には久々の黒字決算を行った。
三期にわたる難行にもようやく明るい陽射しが見えてきた。
我が新製品シャープスーパー受信機がさっそうと市場に登場した。
だが、この期には前の経営の空隙を埋めることにとどめ、
設備の新設拡張にまでは手を出さなかった。

・私は天災のためとはいえ、一度は東京の事業につまずきもした。
また、血涙のにじむような経営苦にあえいだことも一再ならずあった。
そして自身は生死の巷(ちまた)をさまよい、
肉親の何人かを不慮の厄災に失っている。
しかし、現在の私が、広く社会と諸々の人たちから
数え切れぬほどの恩恵を受けて事業一筋に生きていける幸福を思うと、
ひとしお感謝の念が湧いてくるのである。

・経営理念で精神面の問題も重視した。
愛社精神や団結心などもなおざりにはしなかった。
常に社内上下のつながりを緊密にし、
かねがね自分の提唱している人材の蓄積という言葉をモットーに、
温かい結びつきを片時も忘れなかった。
これは外部に対する人間尊敬の心、
信義に踏みたがえない気持ちにも合致するものと考えている。

・職人たちは自分の技術を取り立てて後輩に教えるようなことはなかった。
職人は長年の間に自然と仕事のコツをのみこむので、
ヤスリひとつ使うにもその腰と手が上手く調和していないと、
ぴったりと平らなものに削ることはできないものだ。
こんなことは口で言ってもなかなか会得のいかぬもので、
みんなが長い年月熟練の結果、それぞれ自得するよりほかはなかった。

・予算と見合った決算を得るためには
正確な期末決算の予測を立てなければならない。
それには当然、合理的で緻密な計数管理が要求されてくる。
工場、支店営業所の末端に至るまで周到、
克明な数字の裏付けを必要とする。
我々は経済情勢の掌握と、それに対する柔軟な適応性を
兼ねもってこの計数管理の徹底を約した。
日々の営業部門の実績報告は無論のこと、品質会議、
部長会議、さらには週初の重役会議と、すべてが実際の係数による資料を
基本にしての狂いのない経営の樹立であった。

日本のエジソンと呼ばれるほど
独自技術の製品にこだわりを持った早川徳次

自分で生活に役に立つ道具を多く発明をしているほど、
日本のエジソンと呼ばれていました。

「まねされる商品をつくれ」が口癖で、
独自技術の製品にこだわりを持ったそうです。

1924年、大阪府東成郡田辺町大字猿山25番田という所で
「早川金属工業研究所」を設立しました。

最初は万年筆の付属金具の製造販売をしていましたが、
海外で実用化されていたラジオに興味を持ち
大阪の心斎橋にある縁戚の石原時計店を訪ねました。

アメリカから輸入された鉱石ラジオ2台を手に入れて
従業員と分解し始めてモールス符号の手動電鍵を設置など
実験をしながら研究をしました。

1925年、研究した結果、
4月に国産第1号機の鉱石ラジオ受信機の開発に成功しました。

社団法人大阪放送局で仮放送をしてみて明瞭な音声が聞こえたので
高い評価をもらい、ラジオ放送開始しました。

そのきっかけで鉱石ラジオの市販を開始して
爆発的に売れるようになったため、
早川金属工業研究所をシャープという名前に変えました。

以上になりますが、もし、鉱石ラジオに出会っていなかったら
シャープという大手電機メーカーにならなかったでしょう。

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